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最初は三十歳のとき、久々に自転車を購入したのを機にダイエットの記録を残そうとしたblogです。 そして今は2022年42歳、減ったり増えたりしながら右肩上がりを描いてとうとう100キロを超えてしまいました。 そんなおっさんの自戒をこめた自転車ダイエットblogです。

   
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自転車を組めるようになると、あるあるなのが自転車がどんどん増えるというところなんですよね。

1台全部買うわけじゃないので、購入に対するハードルが下がるせいなのか、〇〇という自転車が欲しい!! という欲求から、△△が使ってみたいな!! くらいのフランクなものへと認識が変わります。

自分の場合がまさにこれで、ちょうどこの時廃車状態のトレックのクロスバイクを入手できる機会があったんですね。
そのままでは乗れない状態で暫く放置されていて、直せるなら譲ってもいいよ!! ということで、手元に来たのでした。

手元にロード、MTBとクロモリが2台完成の状態でありましたが、基本は室内保管。
雨ざらし状態で気楽においておけるアルミ(ほんとはだめです♪)。
しかも、機械式とはいえディスクブレーキ仕様♪(初体験)

青森市には取り扱いのあるお店がないので、トレック自体珍しい。


ってことで手掛けることにしました。

ぐっしゃり行ってるフロントホイールは当然購入しなおし。
ワイヤー類も総とっかえ。

ハンドルは若干両端をカットして小回りを利くようにしながら、Giantの時につかっていたエンドバーを装着!!



こんな感じになりました。 
細身のタイヤを履かせつつ、エンドバーのおかげでポジションも自由で。 フロント3枚なので、インナーが軽く坂道も苦にしないし、基本がアルミなのできびきびするし。

少し重いですが、自分が他に乗っているものと比べると全然軽さもあり(笑)

結構活用しました。

100キロくらいのライドにはフラッと乗っていったし、多少の悪天候もディスクブレーキはものともしなかったし♪

ちなみに、後輪のスポークが折れたことがありまして、そのときはじめてスポーク交換とホイールの調整が出来るようになりました♪ 素人作業ではありますが、一通りできると安心感が違うんですよねぇ。

最後はBB周りからの異音がメンテナンスで抑えきれなくなってきたのが少し気になり始めた頃に、息子さんの通学の足に引き取ってくださるという方がいらっしゃってお嫁入をしていきました。
私の手元にあったのは4年くらいでしたが、ラフに使えるクロスバイクの魅力を存分に満喫できました♪ TREKの印象がすごくよくなりました。

ありがとう!!
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免許を取る少し前なので多分21歳ころ。
乗っていたのはホームセンターで購入したなんちゃってMTB。 リアサスが付いていたのを覚えてる。

確か25000円ほどだったか。 
ヘタに高い自転車に乗せてもらってたので、この頃は自転車は安くなったなぁ~くらいしか思ってなかったんだけれど、やっぱり安かろう悪かろうですよ。

リアサス付きなので、身体に伝わるショックは少ない。 乗り心地がある意味良いといえる。
がっ!? 

重いし、前に進まないんだ!! 

その前のシティ車から乗り換えた嬉しさと、ルック車を知らなかった無知ゆえにMTBはMTBだと思っていた。

一度遠出をしてみようとして、激坂を上るわけだが当然途中でヘタれてUターンしてきた恥ずかしい思い出♪


ってわけで、5台目に購入したのはこれまたホームセンターでスポルディングと書いてある
シティ車だった。
前かご、泥除け、6段変速くらいかな?

高校2年の途中から乗り始めて二十歳くらいまで乗っていたと思う。
この位の価格のものになると、メーカー車じゃなくても最低限ちゃんとした部品を使っているのでごく普通に乗ることが出来ました。

あんまり想い出はないけれどね。

パンクでもしたのか、知らないうちに乗らなくなって、これまた知らないうちに実家から消えてた。

自転車を扱えるようになった今でもこの手の自転車に魅力を感じないのは、やっぱりこの時期の記憶が影響してるだろうなぁ。
思春期終わりのフラストレーションがふつふつしていた頃(笑)
当時ETが流行っていたからなのかどうかはわからないが、BMXが欲しくてほしくて親にねだった記憶がある。
とある理由から当時の父はBMXは危ないものと思っていて、中々買ってもらえなかったがとうとう根負けして買い与えてもらいました。
メーカーはわからないけれど、赤いBMX。

嬉しかったなぁ。

ただね、今でいうルック車だったんだろうけれども、同時期に友人たちが乗っていた BMXと比べるとホイールが樹脂ではなく、ステンレス。 
フレームの形もなんだかおとなしく、
そしてまたまた重かった。
んで、ペダルがすごく古臭いものが付いていて(昭和の実用車についていてるようなやつ♪)

嬉しいんだけど、口さがない当時の子供たちには”ニセモノだ”と言われたっけ。


いやー、乗った乗った。

カッコ悪いペダルは、ぶーぶー言って交換してもらったし、
よく倒してたので、グリップの底も貫通しちゃって、これも交換して楽しんだ。
この頃には、飛んだり、跳ねたり、レースしたりといった遊びももちろんしたけれど、
小学5年まで乗る間に行動範囲も随分と広がって、途中でダイナモのライトをつけてもらったりした♪


サドルの上げ下げとか、ハンドルの角度調整とか、ブレーキレバーの位置調整とかとにかくねじで出来るセッティングは自分でして楽しんでたなぁ。

どんどん変な形になってくるので、親は危ない!!と言って怒るのだけれども、
当時全く自転車の知識はなかったが、

高めのサドル、前に倒れていくハンドル、掛けやすいブレーキレバー。
今思うとどれも実用的。

あと、ちょっとした転倒とかですぐハンドルが回って方向がずれたのって、締め付け不足じゃない?
今自分で調整してる自転車はほとんどそんなことにならないのだけれど(笑)


この頃は自分が他の子どもと比べて随分と自転車フリークだという自覚はなかったんだけれども、友達たちはこんなカスタマイズをして楽しんでいた様子はあまりなかったので、
やっぱり天性の自転車好きだったんだろうなぁ(笑)。

買ってもらった時にはキレイな赤だったBMXだけれども、タイヤもブレーキもすり減ってきたころにはスプレー塗料でなんだか妙な色にして楽しんでた。

その時一緒に赤さびてたチェーンも気になって塗装しちゃったんだけど、なんてことしてたんだろうねぇ(笑)

当時パンクすると、親からお金をもらって自転車屋さんに持ち込んで直してもらってた。
肥満児の重さと身体のサイズに合わなくなってきてたということもあるけれど、最後はパンクが頻発するようになって乗り換えることになるわけです。

4歳で初めてのった自転車。
最初は勿論補助輪を付けて乗っていた。
覚えているのはブレーキが右一つしかなかったこと。
パンクをしないウレタンのようなもっちりとしたタイヤが付いていて、空気を入れる必要がなかったこと。
当時マンガのキャラクターがついていた自転車は巷にあったが、そういうものじゃなく、なんだかシンプルな黒っぽい子供自転車だったこと。
とにかく重かったこと(笑)

それでも好きで乗っていたなぁ。 どこかに行くためのものじゃなくて、自転車に乗るという遊びをしていたと思う。 

今思うと子供自転車だからなのか、クランクが華奢だった気がする。

そして、補助輪が外れる頃に乗り方を教えてくれたのは若かりし頃の祖父だったこと。
父でもなく、母でもなくじーちゃんだった!!

そういえば、大人自転車の後ろに子供用のいすを付けて幼稚園に連れて行ってくれたのもじーちゃんじゃなかったか???

そんなのを覚えている。

きっと幼稚園にはいった4歳で入手して、年中5歳で補助輪が外れて、小学1年で乗り換えるまで乗っていたので、3年間ほどの付き合いだったんだろうけれども、自分が自転車好きに育ったルーツと思うと感慨深い。


   
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